由緒・歴史、ご本尊、双龍図、年間行事のご案内|岐阜県岐阜市のお寺「金寶山 天澤院」
天澤院について
01
由緒・歴史
始まりは室町時代、
あらゆる災害を乗り越えて
天澤院は室町時代に悟渓和尚が禅学布教のために大徹堂を創立したのが始まりとされており、永禄元年(1558年)に別庵を建立して「瑞微庵」と号し、法孫である天瑞和尚によって開基されました。 明治24年(1891年)の濃尾地震で諸堂が倒壊したため、翌年4月に僧堂を瑞龍寺の境内に移転。大正12年(1923年)に本堂・庫裡が再建されたことで本来の姿に戻り、昭和10年2月に寺号を現在の天澤院と改称しました。昭和20年の大空襲で諸堂宇がことごとく焼失してしまいましたが、檀信徒達のお力で本堂・庫裡を再建。平成10年12月には22ヵ月に渡る工事によって本堂を改築し、天安 宗道和尚が法務を取り行っております。
歴代住職
- 瑞徴庵 歴代住職
草創期(室町後期~江戸前期) - 創建 悟渓宗頓
開基 天瑞瑞徴
月湖恵満
東月祖岑
徳翁慈盛
絶泉温公
警林智策
徳雲祖門
霊樹智根
撲道禅魯
答厳祖応
統庚
(この後しばらく無住)
- 天沢庵 歴代住職(僧堂師家)
中興期(江戸後期~明治) - 中興開山 隠山惟琰
雪関紹珠
棠林宗模
遂安宗寔
雪潭紹璞
万寧玄彙
薩門宗温
綾洲至道
敬沖文幢
禅外道倫(僧堂を瑞龍寺に移転)
- 天澤院 歴代住職
近世期(大正~現在) - 朝道子元(山県市堅相寺と兼務)
仙厳文芝(東山文芝)
仙室崇賢(多賀仙室)
雪庭祐関(多賀雪庭)
多賀正浩
天安宗道(現住職)
02
ご本尊
所願成就
厄除け
如意輪観音坐像
「如意輪観音(にょいりんかんのん)」様とは「六観音」の1柱であり、
〝如意宝珠〟と〝法輪〟によって様々な願いを叶え、
煩悩を消し去ってくださる仏様です。
一面六臂(1つの顔と6本の腕)のお姿をされており、
手には如意宝珠と法輪に加えて蓮華や数珠を持っておられます。
- ご利益
- 所願成就/開運・運気上昇 / 金運・商売繁盛
健康運/ 子宝・安産・子育て/厄除け
03
双龍図
- 内陣をうねり囲む
荘厳な双龍図 - 須弥壇の左右に描かれております、
息をのむほどの迫力の〝双龍図〟。
通常は一般公開しておりませんが、
梅まつりの際に公開しております。
また、事前にご連絡いただけましたら観覧も可能です。
04
年間行事
- 春芽吹く〝梅まつり〟
- 天澤院では、2月の梅の咲く時期に
梅まつりを行います。
長らく襖絵〝双龍図〟を非公開としておりましたが、
梅まつりの際にはご覧いただけます。
- 〝情けは人の為ならず〟
施餓鬼会の目的 - 「施餓鬼会」とは、別名「お施餓鬼」「施食会」とも呼ばれており、お盆やお彼岸の時期を中心に1年を通して行われているご法要です。その歴史は古く、中国では梁の武帝が天監5年(506年)に営んだ記録が残っており、現在では慶事・ご祈祷・ご先祖様のご供養など様々な場面で行われております。
05
寺町について
- 寺町とは
- 天澤院のある寺町は、歴史深い地域として知られる岐阜市の名所の1つであり、戦国時代から現在に至るまで数々の歴史遺産が残されてきた場所です。
この地に関わりが深い臨済宗妙心寺派の僧・隠山惟琰は、現在の臨済禅の法系のうち〝隠山系〟の祖として伝えられております。

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